あくまでも人間

なるべく正気でいたい

オタクを辞めようとしていた時に考えていたこと

またの名をローカルで歪で無自覚な常識が心底気味悪いなという話。こんばんは、もちづきです。

 

少し前まで本当の本気でオタクを辞めようと思っていて(詳しくは後述しますがその心は「オタク的な常識」に囚われることとか推しを推していることをアイデンティティにすることとかを卒業するということで多分普通の人から見たら辞めても全然オタク)、結局色々あってその気持ちは削がれて辞めれなかったので、本気で辞めよう!と思っていた時に気持ち悪く感じたことを忘れないうちに書き残します。自戒として。オタクしてても万年思ってたことだから忘れないとは思うけどね……

 

あんまり上手に言葉を選べていないのでオタク各位はバキバキの敵意を向けられていると感じるかもしれませんが以下全て文末に(クソデカ主語)(自戒)(ブーメラン)(偏見)がつくしなんというか偏見だとしてもオタクに染まりきった結果このような理屈を構築できるようになった自分の脳みそ切ないみたいな話なので話半分で読んでください。刺されたように感じて辛いイラつくみたいな苦情は受け付けません。オタク嫌で辞めたくなった話なんだから刺してるに決まってるしまた一方でわざわざあなたのことを刺してはないからです。

 

「推しをどれだけ好きか」が人格評価の基準になる

オタク、こういうとこない……?

その時はツイで繋がりタグとか使うタイプのオタクだったんですけど、タグのツイートを身内に回してもらったりするんですよね。そうするとフォロワーのフォロワーと繋がれてちょっと信用が増すよねっていう。で、そういう時に面白い子です!とかいい子です!とかいうなら分かるんだけど「一途でおすすめ」とか「〇〇さんの強いオタクです!」とか書かれてるのを見た時に急にゾッとしてしまって。そりゃ一途な人は一途で一生懸命な人同士、いわゆる強いオタクは強いオタク同士で一緒にいた方が感情としても合理性としても理にかなっているのはわかる、だって私はオタクだし、経験としても理屈としても理解出来る。でも一歩引いた時に怖くなった。仲良しの相互フォロワーを紹介する時に「誰かのことを一途に好きなこと」「誰かの強いオタクであること」しか出てこないの?それ以外にあなたはそのフォロワーを規定できないの??って……いや、誰かを一生懸命に愛せることは十分大切なその人の個性だし、そもそも紹介した当人がそんな冷徹なわけではなく文法に則ってそれをしてるのもわかるけど、でもゾッとしてしまった気持ちとその感覚は消えないと思う。え、私が誰のことをどれだけ好きかとか金かけてるかとか関係なく私のこと好きでいてくれる人と一秒でも長く時間を共にしたいオタクやめてえーって思いました。

 

オタクの関係性は基本的に「苦しみを共有する仲間」である

上の話の延長で話してたんですけど(※もちろんオタクと)、頑張ってるオタクと頑張ってたけどやめちゃったオタクは「オタクやめた友達」として友達でいれるかもしれないけど、「頑張ってたけどゆるくなったオタク」と頑張ってるオタクが友達でいるのってもしかしたらそれより難しいんじゃないのかって。多分ゆるくなったオタクは自分が行きたい現場に気ままに行くし、欲しいディスクやグッズを買うし、時間や心やお金に余裕ができたまま、推しのことを好きだなあって思って自分の人生を生きる。その裏で頑張ってるオタクは時に気乗りしない現場に行ったり運営を呪い殺したり首が回らなくなりながら積んだり回収したりしてる、あんまりよくないことだけど、多分そういうことがある。で、そんな「推しが好き」という気持ちは同じようにあるけど苦しみながらも「オタクとしての生」みたいなものに縋り付いてる人と美味しいとこどりしてるゆるいオタクが一緒にいるのは多分しんどいと思う。他人の幸せは憎いからな……(人間の業)(あまりにもクソデカ主語)というかまず「美味しいとこどり」って発想がちゃんちゃらおかしいんですよね、美味しいとこがどこかちゃんとわかってんだからそこだけ食べなさいよ、推し活はお残しは許しまへんで!な給食じゃなくてビュッフェスタイルだと思うよ、趣味だし(自戒)なんかね〜〜界隈違う他推し同士がリア友じゃなくても仲良くできるのって結局同じ苦しみと業を背負ってるからだよね。同じ幸福もあるとは思うけど職場のクソ上司の愚痴を言い合って意気投合してる感じ……私はそういう関係も楽しかったし救われてもきたけど、「同じ人に魅力を感じているけど推し方に差が出る人」より「相手の推しのこと全然知らないけど同じ苦しみを背負う人」の方が容易に仲良くできるっていうのがちょっと寂しいなって思ってしまった。

 

「オタクを名乗るに足る自分」でいることへの疲労

私は(リソースが及ばず実現はしてませんが)基本は全通思考のオタクだったし配信ディスクetcも全て網羅したいオタクでした(口癖は「自宅を推し専門の図書館にしたい」)*1が、まあこれも相手によるんですが比較的どうでもいいな〜って思うこともあって、接触のみの現場とグッズは割とどうでもよかったです。だから何もかも網羅しないと気が済まないとかマウント取りたくて云々ってわけではない。

じゃあ私が執着していたのは何かっていうと「情報」なんですよね。正確に言えば「推しのことを知れる範囲では知り尽くしてる自分」。あの時の仕事では現場ではこうだった、いついつの番組でこういうエピを話していたから、という風に自分の知る限りの情報を引用しながら知った顔して推しのことを分析したり語るのが好きなんですよね、私は、だってオタクだもん。何よりもまずオタクってそういう生き物だと思う。古典的な意味でね。で、その根拠になるデータベースに抜けが多くなることが本当に怖かった……だから必死に全部追いかけてました。接触がどうでもよかったのはオタクそれぞれと推しの間に会話があって「みんなが得る決まった情報」がかなり薄いからです。どうせ行っても私は接触ド下手なので重い発言して終わるか中身のないゴキゲントークして帰るかの二択ですしね(自虐)話は戻りますがだから1回疲れた休みたいとか思っても穴を空けるのが怖くて戻る時に後悔するのが怖くて走り続けるしかなかった。何かとり落としたらその時にもうオタクを名乗れなくなる、同担に当然のこととして振られた話題私が知らなかったらどうしよう、そういうことにずっと縛られてました。止まったら死ぬ。マグロか?私は人間なので休みたい(ブログタイトルに戻る)

 

罪の意識を持ちながらお金を使っている

私は根のオタク観があんまり「オタク」的ではない(ジャニは小学生くらいから好きだけど一生茶の間だし二次ではグッズとか推しを推すってより創作とか解釈厨寄りだった、女子ドルも最近好きだけどそんなに現場行かずとも満足してる)のに何かがバグって今の界隈でオタクしてるし、根の金銭感覚はかなりケチくさいです。親が娯楽にお金をかけない人だったんですよね……かけるんだけど、シングルCDはコスパ悪いからアルバム待つ、単行本は高いから文庫を買う、みたいな。なんか他にも色々「いいお金の使い方」「悪いお金の使い方」みたいな感覚を割ときっちり仕込まれちゃってて、それはとてもありがたいことだし、またその反動からしっかり浪費癖だったりもするんだけども、とにかくその私の価値観でいくと、たいして稼いでいるわけではない若い女の私が推しに機械的に大金溶かしていくことにシンプルに罪悪感がありました。私ほどじゃなくても「あんまりよくない金の使い方だな……でもやめられん……」て人はいると思う(納得して計画的にお金使えてる人は偉い)で、その罪悪感をはっきり自覚した時、お金はそりゃあ落ちないより落ちた方がいいんだけど、「推しとオタク」とか「運営とオタク」とか以前に私個人で完結する倫理の問題として「好きなものにお金を払うことを悪いことと認識している」のはとってもまずいんじゃない!?と思いました。言ってしまえば汚いお金ですよ(※綺麗なお金です)罪悪感を感じないところまで減らさなきゃ、生活できてたとしても心と人としてのプライドが危ない、と思いました。

 

……と、まあここまで書いてきて結局頑張る精神力もない金なし弱小オタクの言い訳じゃねえかwwwという気持ちになった方も少なくないんじゃないかと思いますが、

その「金なし」とか「弱小」を嘲るローカルルールから逃れたくなったという話なのでそれで大丈夫です。

このお金とか強さとか正義の話も書きたかったんですがこの話でこの記事くらいの長さになるのでまた今度にします。あと推しのオタクの空気感が苦手だったことに関する考察とかもある。

 

それにしてもまとめるとやっぱり「周りのオタクとの関係」とか「推しのオタクとしての自分」とかに疲弊している感じで自意識大爆発すぎてオタクより何より自分が一番気持ち悪い。誰もお前のこと見てねえわ(でもオタク怖いんだもん!!!)

 

あと普通にオタクごと以外にも趣味はあるし、趣味じゃなくても旅行とか行きたいし美味しいもの食べたいしそんなちゃんとしてなくても友達とくだらない飲み会とかしたいよね。それすら甘い弱いって思われるのかなー。無理!という感じ。あと私は一部のコミュニティ相手にオタクを隠していたので、潜在的に「恥」の意識があってそれも疲れの原因だったんだろうな。だから誰に話しても恥ずかしくない、親しい友達じゃなくとも人としての私をそこそこ好きでいてくれる人ならまあ受け流してくれるくらいの、軽蔑されないくらいの推し方でいたいなーと思った。人間の生活を重んじたい気持ちも大爆発だった。スクールカースト最底辺陰キャ人生なので隙あらば「普通」になりたいです。我が道を生きることに誇りが持てない……

 

まあ結局推しが最高ムーブをしてくれたおかげであっさり戻れた(複数推しをその子だけには絞りましたが)ので最初に書いたように辞めれてなくて、ただまた狂わないために心がけていることとしては

・「行かない現場」「買わないもの」を選ぶのではなく「行きたい現場」「欲しいもの」を選ぶ(結局現場数変わらなくても心の余裕がまったく違う)

・「〇〇くん推し」をアイデンティティの先頭に持ってくるのをやめる、オタクである自分に依存しない

・枠の意識が強い界隈で運用していたSNSを消すことで「推しを好きでい続けなければ」「頑張り続けなければ」という同調圧力から逃れる

・推しを「応援してる」ってあんまり思わない。どうせ1人の力じゃ大して干渉できないし私が好きなだけ!観察!消費!搾取!くらいでいる(言い過ぎ)

・ともだちをだいじにする(小学生)

とかかなあと思います。ひとつめとふたつめとか分かってても実行に移すの難しいんですけどね。私もここに書いたようなことは狂ってる時から思ってたし、狂ってる友達に話しても共感してもらえたのにそれが「でもやめられない」になるか「だからとっととやめよう」になるのってもう理解とか理屈とかの次元じゃなくて、コントロールできないんですよね……なんででしょうね。でもマジでひとつめ大事!前向きな行動選択をしてるってだけで幸福度上がります!結局それで全通でも何も切れなくて機械的に全通するより「全部行きたい!!!行っちゃお!!!」てする方が健康でいられる。し、切れないと思ってた現場意外と切れて美味しいご飯食べれたりいいコート買えたりするよ。私のような裕福じゃない人は試してみてください。知らんけど(関西人)

 

ここまで書いて辞めれてないのが本当に滑稽なんですが1回冷静になれて大きなきっかけもなく自分の判断で惰性で推してた人を「降りる」選択が取れたりスタンスを見つめなおせたことは良かったのかなと思います。そして弱小の言い訳と思われてもいいからなるべく冷静に生きていきたいです。終わり。

 

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*1:それが難しくない界隈であり推しだからだと思います。毎日公演あるとかが日常だったら違ったと断言する