あくまでも人間

なるべく正気でいたい

ファン感情とは何か──期待と満足の狭間で

エセ論文タイトルみたいになっちまった。こんばんは。もちづきです。

 

今回は「好き」とか「推し!」とか言うのは簡単だけどその推しに対する好きの正体って何なんだろうね、そもそも推すって何?ファンって何?応援するとは???ということにとても悩んだことがあって、その話をします。

 

私はずっと一途というわけではなくて何回か推し変してるし、複数推しだったこともあるし、今も推しとは言わずとも好きだなーって思う人とか、気にかけたい人とかがいます。そういう自分の気持ちを外から見た時に、同じように「推してる」と言っても色々な気持ちを対象にぶつけてるんだなと気付くんですよね。「私にとって」特に重要だったのはこの2つでした。

 

①「売れてほしい」「未来が見たい」タイプの推し

ちなみに今の推しはこっちが強め。も~~~~とにかく売れてほしい!一発当たってほしい!スターダムを駆け上がるところがみたい!キラキラした世界を一緒に見たい、いや、そんな傲慢じゃないな、みせてほしい!そんな感じです。私が好き、ってだけじゃなくて、そういう未来をつかめる才能を客観的に見て感じてる、その推進力、エネルギー込みで惹かれている、という感じです。だから周りの人にこんなに素敵なんだよ面白いんだよ聞いて聞いて!っていうのもしちゃいます。

 

②ただひたすらに私が大好き、私の好み、というタイプの推し

ひたすらに好き、仕事が好きで存在も好き、言動も信頼してる、ただし客観的に見て万人受けの魅力を備えてるとは思わない、だから売れろとは思わないというか現時点で100大好きで100信頼してるから後がどうなるかはさほど重要ではない、という感じ。衝動的かつ刹那的で自分本位ですね。でも好きすぎるがゆえのある種冷酷な距離みたいなものも取れている。推しからアウトプットされる全てが好きだし信用できるものであるという経験から培った自信があるので、とにかく気持ちが安定しているし他人の意見はあんまり気にしてない。

 

なぜこの2つを挙げたかというと、この2つの感情をそれぞれ抱えながら複数推ししてた時期があって、その時に私は結局どっちが好きなんだろう?と散々病……悩んだことがあるからです。

 

前者は期待ベースの推し方です。「推す」って言葉の語義を考えるならこちらの方がよりそれらしいんじゃないのかな。こうなってほしい、っていう気持ちがあるから応援にも熱が入るし、ついていった先で見たい景色があるから思い入れも強くなる。人から評価されるだろうという自信もあるし、あと人の評価を気にするのでめっちゃパブサする。本人のエゴサよりしてると思う。

でもそれって推してる動機が100私の「好き」ではないっていう部分もあって。期待感でブーストかけてるところがあるから、純粋な「好き」さで言ったら後者で推してる人の方が多分上だった。危なっかしいなあっていうところもあったし、でもそういうところ含めて彼の状況を、走る道を、見守って観察して応援する、共に走る、そんな推し方です。未来投資とも言うのかもしれない。ちょっと違うけど。

 

後者は満足とか信頼ベース。とにかく「好き」って感じなので、ファンって言う方が語感は近いかな?現状与えられるものに常に満足していて、それはとてもいいことなんだけど未来への推進力がありません。なぜなら満足しているので。停滞してるわけじゃないけど常に満足している現在が連続していて、なんというかプラスにもマイナスにもならんという感じ。あと満足してるから「応援しよう」みたいな感じにはならないし、なんなら完成されたものとして見てるから完全に切り離された観客目線になる。だからオタクとしての必死さとか没入感とかはなくなる。いつでも好きな時にアクセスしたら安心安定大好きなので。

 

もちろん他にも色んな気持ちはあって、キャラ萌えっぽい感情とかもあるし、この2つだってはっきり切り分けられていたことは1度もないです。

 

だけど2人推してる中で明確にふたつの傾向に好きが分かれてしまって、そうなった時により「売れてほしい」「応援したい」ってなる方が推し??他人からの評価を意に介さず現状に不満もなくオリジナルな感情で大好きな方が推し??種類が違うのはわかってるし比べるもんでもないしだから2人とも推してたけど、思い悩むことが多かった。もはやどっちも好きじゃないんじゃないか……とか思うこともありました(笑)(まあでも前者の推し方の推しのことを好きではないよって友達に言ったりはしてた)(いや好きだろって返されて終わりました ~完~)

 

やっぱりエネルギーを費やせるのは前者の推しなんですよね。物語込みで消費してるから、自分も参加していこうってなる。後者はそういう必死さはなくなります。もちろん前提として好きだから追いかけてるんだけど、物語には興味が無いし安心してるから必死にオタクしなくても問題ないというか。でも安心してるのは私だけで実際客観的に見たら全然仕事安定してないからオタク名乗るならきっと必死にならなきゃ*1で、でも私的にはいつアクセスしても楽しいからわざわざ張り付いて疲れたくないな……趣味だし……っていう(いや好きだから常にアクセスしてるんだけどね結局、マインドセットの問題)

 

結局後者の推しへの絶対的だった信頼が崩れて(というか売り方に嫌悪感を抱いて見ていられなくなってきた)離れて、前者の才能により惚れ込んで評価じゃない感情としての「好き」の度合いが膨れてきたのでそのまま推しを1人に絞る形でこの問題は収束、結論は出ていません。

 

推しのことがめちゃくちゃ好き!サイコー!めちゃくちゃ好きだから成功してほしい!!って勢いよく両方思えたらそりゃ1番なんだけど私はなかなかそうはいかないし、「売れてほしい」とか「客観的に見ていい感じ」とかが自分の好きの純度を汚している気がしたり、期待感や希望を抱かないことを「推す」「応援する」「ファンである」*2って言えるのか?って思っちゃったり、考えすぎてしまうんですね、頭でっかちだからさ……

 

もはや期待↔満足とかで軸をとってマトリックスにでもして分類したら楽しいんじゃないかなと思うんですが、イマイチ綺麗な分類が思いつかないです。暇な時に考えます。

 

marshmallow-qa.com

*1:この「オタクを名乗る」とか「ならなきゃ」とかにも思うところが山のようにあるので今度書きます

*2:推すとか応援するって言葉にも思うところがあります。今度書きます(2回目)